Skip to content
EntityQ699503· pop 6· linked from 28 articles

Also known as Wang Ouk, Anjong of Goryeo, Wang Wook, King Hyomok, King Hyoeui

Prince of Wang dynasty, Goryeo (? ~ July 24, 996)

Person · Open Library

Works
1

Top works

  • Kungmin chugŏ anjŏng ŭl wihan chutʻaek chŏngchʻaek tʻoronhoe

via Open Library + Wikidata

Wikidata facts

Instance of
human
Gender
male
Citizenship
Goryeo
Place of birth
Kaesong
Mother
Sinseong
Religion
Buddhism
Show 4 more facts
date of death
0996-01-01
name in native language
안종
date of birth
0950-00-00
unmarried partner
Heonjeong
Sources (2)

via Wikidata · CC0

Article · 日本語

王 郁(おう いく、ワン・ウク、? - 997年)は、高麗の王族。初代国王太祖の子で、第8代国王顕宗の父。母は神成王太后金氏。神成王太后は新羅敬順王の従姉妹で、935年11月に新羅が高麗に降伏の意思を表して嫁がせた女性であった。したがって王郁は、936年から太祖が死亡する943年の間に生まれたと推定される。恵宗、定宗、光宗、王旭(成宗の父)の異母弟である。顕宗は即位後、安宗(あんそう)の廟号と憲景孝懿大王の諡号を追贈した。 景宗の妃である献貞王后皇甫氏(顕宗の母)は、景宗が死ぬとすぐに王輪寺南側にある私邸に出て行って暮らしたが、その近くに住んでいた王郁としばしば往来して共に過ごす時間が多くなり、結局情を通じて献貞王后は王郁の子(顕宗)をもうけることになった。 当時、このことは周囲の人々が皆内密にしていたが、ある日王郁の奴婢が王郁の家にわざわざ火を付けたことに対して、慰問のために王郁の家にきた成宗にこのことが報告された。これによって王郁は流刑に処され、997年に死亡した。 献貞王后との間に生まれた子(後の顕宗)は成宗が養育した(成宗は献貞王后の同母兄であり、顕宗の従兄にあたる)。

Abstract from DBpedia / Wikipedia · CC BY-SA

Available in 6 languages

via Wikidata sitelinks · CC0